北欧の貴公子 ステファン・エドバーグ

出身は北欧のスウェーデン出身のプロテニスプレーヤー。1966年1月生まれで現在49歳である。 テニス界には、現役は引退しているが、ロジャー・フェデラーのコーチとして世界を回っている。 そんな彼のことと筆者への影響などについて書き綴ってみようと思う。

ステファンエドバーグのファッションはさわやかでスポーティー

ステファンエドバーグをはじめテニス

プレーヤーのファッションは

さわやかでスポーティーなところも

テニスに魅力を感じる、もうひとつの

興味であった。

 

世界のトッププレーヤーは、ほとんど

が、トナーメントで世界を飛行機など

で転戦するので、その移動のときの

ファッションは、ジーンズ中心のカジュ

アルスポーティーなものだ。

 

ステファンもそういうファッションの

ひとりだが、雑誌などでインタビュー

を受けるときなどは、

テニスコートの延長のファッションで

あった。

 

デニムのジーンズに

スポンサーのアディダスのテニス

ウェアが、学生心に意外にファッショ

ナブルに感じたものだ。

 

おそらくスポンサーから条件付けされ

て着用しているのだとは思うが、

雑誌記事で見ると私は、そのウエアや

ジーンズ、また、テニスのツアーバッグ

などが欲しくなったものだ。

 

テニスというスポーツに興味をもつ前

に、人は憧れの人の人間性、とくに

仕事外のオフの姿のほうに興味を

持つものであることが、わかる。

 

今はフェデラーなどのコーチとして

活躍のエドバーグだが、

今後も、

彼のあまり派手なパフォーマンスは

しないが、さりげなくお洒落な行動

を見ていきたいと思う。

 

白人テニスプレーヤーは憧れだった。

エドバーグをはじめテニス界の世界の

トッププレーヤーは白人が多い。

今でこそウィリアムス姉妹などが出て

きてはいたが、エドバーグが活躍して

いた80年から90年代は、白人がほとん

どであった。

 

日本人の私は、白人の美しさ(特に女

性)には、学生時代の若いときは、

もう脱帽だったわけである。

肌の白さ、金髪、目がクリッとして

優しいところ、そして、セクシーな大人

の雰囲気を兼ね備えていた。

 

 

白人にはなれないが、白人のように

スマートにクールに、いろいろなこと

をしたかったのかもしれない。

 

そして、テニスはイギリス王室や

日本の皇室でもするロイヤルなスポ

ーツ。

今の時代はどんどん人類が自分の実力

でのし上がりフラットな社会に

向かっていく方向だが、

当時は生まれ持った身分みたいなもの

が幅を利かせていた。

白人の存在というのもそんな人種の中

での位置づけをある教育によって

なされていたのかもしれない。

 

だから、憧れたのだ。

 

エドバーグは男なので、同性の私から

したら、テニスにおけるモデルなので

あったが、

当時の女子プレーヤーでいうと、

ちょっと少しまえのリサ・ボンダーや

カーリン・バセットなどは

めちゃかわいい選手であった。

 

だから、錯覚だがテニスをすると

こういう人たちの世界に接することが

できていつしか、会うことも

出来るのかもしれないというミーハー

な考えを持っていた。

 

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私が所属した大学テニスサークルは

この世界のトッププレーヤーが集う

オフィシャルな大会の運営スタッフを

アルバイトでさせてくれたのだ。

 

サークルの先輩たちが代々その運営

役員をして、後輩たちを

ジャパンオープンセイコースーパー

テニスのラインジャッチやボールパー

ソンとして使ってくれるのだ。

 

春と秋にそれぞれ大会があるが、

私のサークルの友達は、それがけっこ

う自分でするテニスよりも楽しいもの

であったという者もいた。

 

つまり、世界のトッププレーヤの息遣

いやプレーぶりを間近で見れるのだ。

しかも、バイト代をもらえる。

テニスファンにはもう、これ以上ない

催しである。

イワン・レンドルやボリス・ベッカー

ステファン・エドバーグ、ジョン・マ

ッケンロー、ジミーコナーズ、シュテフィ

グラフ、ガブリエラ・サバティーニ

パット・キャッシュなどがいた。

 

大学サークルで実力がある人もいるが

そういうレベルではない、世界のトップ

プレーヤたち。

早さも技もテレビで見るより、迫力満点

なのだ。

女子プレーヤーもかわいくて、英語喋って

よくわかんない。

そんなことも楽しさのひとつだった。

 

 

 

ステファン エドバーグの見出しなみを参考にした。

ステファン エドバーグは

北欧の白人ということもあり、

髪の毛は金髪、身長は188cm

のスマートな体型が、

テニス以前の魅力だった。

 

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彼のテニスをモデルにして

自分のテニスの向上を図ろうとすると

彼の仕草や恰好まで似てきてしまう

ものである。

もちろん、プレースタイルを同じに

したいというのがあるので、

ラケットは、ウィルソン系にしたり

ガットをナチュラルシープにするのは、

一回の張替代が、5000円を超えてしまう

ので、学生の身の自分は、ゴーセンとか

のナイロンガットを使っていたのだが、

服装とかも真似るところがあった。

 

まあ、服装とはいっても

スポーツ選手は即練習や試合で

世界を駆けまくっているので

ラフな感じが多いし、

雑誌とかの取材はテニスの話題中心

で、きっとテニスコート近くで

取材に応えることが多いと思うので

ジーンズやTシャツ、そして、

契約しているメーカーのシャツを

来ていることが多い。

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SEのロコがデザインのテニスシャツを

私はよく着ていた。

 

そして今は私もエドベリも前髪が

薄くなってきてしまったが、

当時は長髪で、なびかせながら

風を切ってテニスをしていた。

 

ベンチに腰掛けたときに

息を前髪にふぅーっと吹き上げる

ステファンの当時の癖を覚えている

人も少なくないだろう。

 

そんなとこまで、なんか似てきて

しまうのである。

人間とは面白いもので、

これをミラーニューロンという脳の

特性で今は意味が分かっているが、

当時は単なるオリジナルのない、

ものまねとして、冷やかされたもの

である。

自分はその気だが、周りは大して

気に留めてないものである。

 

スポーツに限らず、出来る人のまねを

息遣いから仕草まで真似ることは

悪くないのである。

そして、もっと大事なのは考え方や

マインドを真似ること。

 

そして、強くなりたければ、すでに

強い人となるべく一緒にいること

である。

 

そうすると、そのふるまいや態度、

マインドまでもが自分のものに

なるのである。

 

一定の物まねをある程度習慣化した

あとに、自分のオリジナルを出せばいい。

 

究極ひとは、誰か複数の人の何かを

複合融合して今の自分が出来ていると

言われているので、

なるべく自分の周りには

優秀な人を置いておいたほうが

いいわけである。

 

それか、自分はひとりでいるほうが

好きだ。

学生時代から、このような生活は

今も変わっていない。

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でもなんとなくテニスをしながら、友子と仲良くなった。

ステファンエドバーグに憧れて

入った大学のテニスサークルであり、

テニスに真剣に取り組んでいたわけだ

けど、

やっぱ若いんで女の子は気になるの

だった。

で、出席するサークルの練習日が重

なる友達とは、だんだんと仲良くな

ってくる。

 

最初は気にも留めなかった女子

と時を過ごしたり、仲間うちの同性

同士で異性の話なんかをしたりして、

ジャレ合うのが、サークル活動後や

活動外での行動になる。

 

互いに強いサークルを目指して

頑張る仲間たちなので

結束力が強くなる。

 

厳しいがゆえに、遊ぼうとする力も

強いのかもしれない。

 

大学時代に最初に気になった女の子

は友子だった。

 

友子は成績優秀な法学部の子で、

スポーツ好きな私には、

不釣り合いな女の子。

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美人というよりは、可愛らしい子で

した。

ただ、私はまだ、女性との経験がな

かったので不慣れで、

この子とは、

前歯と前歯がキスの時衝突して

しまい、真剣なキスをするまでに

至らなかったチェリーボーイでした。

 

濡れ透けJ〇雨宿り・・・ 

 

デキちゃうけど、ナカでもいいよね。

あまり女性には興味はなかった。

大学のテニスサークルに入り

テニスに夢中になっていたので

女性にはあまり興味を持っていなかった。

もちろん、まったくというわけではないが

それよりも大事なことが私にはあった。

 

つまり、自分を自分と認識するための

何かが欲しかったわけで、

それがテニスであったからだ。

 

大学一年の前期は、多少大学に入れさせて

もらった手前、授業に出ていたが、

しばらくすると、本音は隠せなかったのだろう。

授業の内容は全く理解できなくなり、

平日の午前中は、サークルの練習に、

午後は大学のキャンパスで学校に行ったふり、

少しバイトなどをして、

行動資金にしていた。

 

女性とイチャつくことなど

何も考えていなかったのだ。

 

ただ、大学のトーナメントで優勝することを

ひたすら追い続けた。

最初の大会では、3回戦で

不覚の相手に負けたことを理由に

テニスへの取り組み方を一段と

強いものにした。

 

自宅では、取り貯めたエドバーグの

ビデオを繰り返し見ては、

プレーのイメージを自分の頭の中に

いれた。

マイワールドビックテニスという

テレビ東京のテニス番組は

当時高校時代、毎週のように

見ていたが、あまりにも好きだったので

ビデオにも撮っていた。

 

それを大学時代になっても

繰り返し見ていた。

 

そのイメージでコートに出ては

練習を繰り返す毎日。

 

そんな中でも実は、彼女にしようかな、的な

女性がちらっと現れてはいた。

 

ただ、浪人をして入ったので、

同年齢の大学で言えば先輩の女性なのだが、

そのあたりからも、自分のことを好きだと

言ってくれる人がいたのだが、

そのときは、まったく気にも留めなかった。

(今となってはもったいない話だが。笑)

悶々とした気持ちが自分をテニスに向かわせた。

ステファンエドバーグのテニスに

憧れて、私は学生時代、テニスにはまった。

 

それは、豪快で心地よいはまり方であり、

誰に文句を言われても、その時代を謳歌した

事実はもう誰にも侵されないのである。

人生は一度きり。

どんなにカッコよく生きようが、

悪く生きようが、思うままに生きた者が

いい人生になるのだと思う。

 

そういう意味では、夢中になれるテニスという

スポーツに出会えて、私は幸せであった。

 

なんの取柄もないこの私に

人生を楽しむ機会を与えてくれた

スポーツと言っても過言ではない。

 

事実そのときのスピリットは今の生活

でも、随所に出てくるのである。

 

どんなときに顔を表すかというと、

ムカついたときや、怒りを持ったとき

ナニクソーっという根性が出てくる。

 

そのスピリットがテニスをして得た

私の源動力だ。

 

テニスを単なる遊び道具とみていたら

こんな精神は宿らなかったかもしれない。

どうして、こんなに負けじ根性が育ったのか

というと試合に勝とうとして、テニスという

スポーツに取り組んだからだと思う。

 

だから、悪く言えばテニス馬鹿かもしれないし

うまく言えば勝負師、かもしれない。

不器用だからこそ、学生時代の他のすべて

を捨てて、テニスに打ち込めたんだと

思っている。

学業が中途半端に出来ていたら、

授業に出ていい成績をとり

就職のことばかりを考えていたかもしれない。

 

普通の人は、大人として社会に出ていくための

訓練や勉強を学生時代にするのだろうけど

私の場合は、子供のように純粋にテニスに

打ち込み、勝負を争った。

 

だけど、そのテニスが、勝負のために

辛く厳しいとか、トレーニングをしたくない

とかを思ったことは、一度もなかったように

思う。

上手くなり強くなりたいという目的に

沿った行動が出来れば、満足だったのだ。

 

だから、勝負に向かい打ち込んでいる人を

見るととても感動する。

 

それがテニスにおいて私にとっては

ステファンエドバーグだったのだ。

 

永遠の憧れ

ステファン・エドバーグ

 

人は彼の外見だけで

そのスマートなマスク、北欧の高身長で

金髪、白人という観点から

彼を見るかもしれないが、

実は相当な勝負師であり、

世界最高のサーブ&ボレーのセンスを

持った偉大なプレーヤーなのである。

同時代のライバル、イワンレンドルとボリスベッカー

ステファンエドバーグにとって

レンドルやベッカーは今でもいい仲間だと

思っているようだ。

私が学生時代に見ていた彼らは、

当時プロとしての全盛期で、

テニスの試合で見ているものを

ハラハラドキドキさせて

楽しませてくれた。

 

それぞれが個性的であり、

人間がもともと持つ闘争心に

炎を燃やし、肉体と精神の限界に

挑戦する姿は、

今でも覚えているほど魅力的だ。

 

しかも、それはテニスの世界において

トッププレーヤーたちの実際の

姿であり、テニスファンの憧れ。

 

誰もがその舞台に立ち、周囲にいる

人たちに自分の力を見せつけて

勝ち誇りたいのだ。

そんな状況の中で戦った当時のライバル

たちは、現在、現役のトッププレーヤー

たちのコーチになっている。

 

世界のトップを渡り歩いた経験を

これからその世界を目指す若い選手が

欲しがらないわけがない。

 

エドバーグは、ロジャーフェデラー

レンドルは、アンディ・マレー

ベッカーは、ノバク・ジョコビッチ

の世界のトッププレーヤになっている。

 

かつて、トップを走っていたプレーヤーが

20年近くたった今は、コーチになっている。

 

ロジャー・フェデラーなどは、

子供のころのアイドルだったステファン・エドバーク

をコーチに迎えることが出来て、

単純に楽しくうれしい日々になると

考えていたようだ。

つまり、テニスそのものの興味もあるが、

人間的にプライベートな部分までも

時間を一緒に過ごせることに

うれしいようである。

 

筆者自身ももし、今、テニスを継続して

いてテニスプレーヤーだとすれば、

その世界の経験やプレーヤーとして

どんな人生を歩んできたのかを

知ることは、ほんとに楽しいと思う。

 

しかも自分の好きなスポーツをして

生活出来るわけだから、

この上ない時間を過ごすことが

出来るだろう。