北欧の貴公子 ステファン・エドバーグ

出身は北欧のスウェーデン出身のプロテニスプレーヤー。1966年1月生まれで現在49歳である。 テニス界には、現役は引退しているが、ロジャー・フェデラーのコーチとして世界を回っている。 そんな彼のことと筆者への影響などについて書き綴ってみようと思う。

ステファンエドバーグのテニスを追及した私の最初の相手は・・・

大学入学と同時に入ったテニスサークル

では、毎年9月から11月にかけて

個人戦オープントーナメントがある。

 

その大学の数百とあるサークルのうち、

同大学を大きく取り仕切る連盟がある。

 

その連盟が加入サークルに所属する

全ての会員に対して、その参加を許可する

オープントーナメントだ。

 

私は、サークルに所属するや否や

この大会の存在を知り、

大学生活中に同大会に優勝することを

目標とした。

 

そして、大学一年の最初の大会に

申し込みをして参加した大会で

3回戦で対戦した相手は、

私のサークルに匹敵する強さを

誇る他のサークルで、部長を務めていた

2年上の先輩であった。

 

サークルの団体戦の強さで言うと

私の加入していたサークルが、最強で

当時何年か連続で優勝を続けていた。

 

で、個人戦においても、ライバルサークルで

あるわけだが、その個人戦の相手は、

先輩ではあるが、少し小太りの

フットワークはどう見ても身軽そうには

見えない相手で、

私のほうがスポーツマンで強そうに見えて

いたと思う。

 

だが、実際にゲームの蓋をあけると

相手のほうがテニスの試合の経験が

多く、試合巧者でプレッシャーにも

強かったのだ。

 

個人戦の経験の少ない私は、

見よう見まねのステファン・エドバーグを

気取ったサーブ&ボレーで

この先輩を負かそうとしていた。

 

基本的に体力のある私は力任せに

サーブとボレーを繰り返した。

で、いいショットが打てるときは、

軽々とポイントをあげていた。

 

これに対し相手は、ノラリクラリと

歯切れの悪いプレーではあるが、

凡ミスを少なくして、コツコツと粘り

ながらポイントを重ねていた。

 

私もここで負けるわけがない。

と思っていた。

 

勉強は苦手だが、持ち前の体力と

テニスに対する意気込みの強さでは、

誰にも負けないと挑んだ試合であったが、

結果は確かストレート負け。

 

初めての大会では、屈辱を味わったのだった。

 

エドバークテニスは大学の4年間で完成するのか。

 

私はかなり焦っていた。

残り3年間で大会は3回。

 

こんな相手に負けていたのでは、

とうてい優勝することなどあり得ない。

 

そんなことを思いながら私は

さらにテニスへの思いを深めていった。