北欧の貴公子 ステファン・エドバーグ

出身は北欧のスウェーデン出身のプロテニスプレーヤー。1966年1月生まれで現在49歳である。 テニス界には、現役は引退しているが、ロジャー・フェデラーのコーチとして世界を回っている。 そんな彼のことと筆者への影響などについて書き綴ってみようと思う。

大学へは行かず、いつもテニスコートかバイト先だった

ステファン・エドバーグに憧れて

私はテニスの虜になった。

頭の中はテニスのことでいっぱいに

なり、学生時代は、テニスコート

バイト先の往復だった。

大学では体育会へは行かず、自分の力が

発揮できるサークルへ入った。

 

サークルは体育会と違い、入ってくる会員に

はいろいろな人間がいる。

つまり、テニスサークルというテーマは共通

なのだが、テニスに打ち込む人間もいれば

人脈作りや人間関係の構築、恋愛、情報交換、

遊びなど、いろんな目的で入ってくる。

 

同じ大学でも数百とサークルの数があり、

いくつか掛け持ちの人もいるし、

何も入らない人も多い。

 

私の入ったサークルはもともと体育会から

別れたメンバーが作ったサークルであった。

 

つまり、テニスの向上と、団体戦でチーム

ワークで勝利していくことを目的にして

いたサークルだったのだ。

体育会のスパルタ、意味のない上下関係に

嫌気を感じて出てきたメンバーによって

設立されたので、気合の入ったサークルだった。

大学入学後、キャンバスを歩いていると

もう、記憶には薄いのだが、

大学の上級生が声をかけてきた。

入学後最初の2週間くらいだと思うが

新入生歓迎のサークル会員への勧誘がある

のだ。

 

自分はとにかく、素人のオヤジたちが

やっていた会社のテニスのレベルから

抜け出したくて、なるべくレベルの高い

サークルに入りたかったのだ。

 

そして、一人の先輩に勧誘されて

大学のキャンパス内になる小さな教室で

サークルの説明を受けたのだった。

 

ハッキリ言って内容は、まったく覚えていない

のだが、その大学で一番強いサークルと

いうことだったので、

その理由一つでそこでやることに決めたのだ。

今思えば偶然の出来事である。

 

さっそくサークルは月火木金の午前と午後で

テニスコートで練習をしているということ

だったので、授業が休めたり、空いてる

時間を選んで参加してみたのだった。

テニスコートは民間のテニスクラブを

サークルで貸し切りで使っていたので、

運営費は結構かかっていたのだと

思う。

ただ、会員も結構な人数であったので、

新入生からもらった多くの資金

一年中運営が出来たのだと思う。

 

そういった運営感覚は俺にはその当時

なかったので、他の会員がうまくやって

いたのだが、今から思うと感謝である。

 

テニスをすることに目的があった私には

そのサークルの運営という面の目的は

ほとんど無かった。

 

だから、一緒にいたサークルの仲間は

ほんとに素晴らしい仲間なのだ。

 

社会人になってからは、当然そういう

感覚がないと生きていけないわけだが

当時はマジで、そういう管理面では

子供であった。