北欧の貴公子 ステファン・エドバーグ

出身は北欧のスウェーデン出身のプロテニスプレーヤー。1966年1月生まれで現在49歳である。 テニス界には、現役は引退しているが、ロジャー・フェデラーのコーチとして世界を回っている。 そんな彼のことと筆者への影響などについて書き綴ってみようと思う。

セイコースーパーテニス

セイコースーパーテニスと言えば、

この秋口に毎年開催される

日本のバブル期に各国の最強プレーヤー

が集まるプロテニス国際大会だった。

 

参加選手の中で、ステファン・エドバーグは

私がテニスを現役でやっていた時代の

代表選手であった。

 

というとこの時代に学生であったので

共感する方も多いかと思う。

 

セイコースーパーテニスは、

1978年から1995年まで

毎年行われていたが、

スポンサーの代表である

時計会社セイコー

ATPの提示する賞金の用意が

会社の負担であるために

その立場を退くことで消滅してしまった

のだ。

 

東京体育館で行われていたが

当時テニスボーイの私は、

ボールパーソンやラインジャッチの

手伝いに通っていたので

すごく懐かしい。

【HAKUBI】美的ラボ

ステファンエドバーグの華麗な

サーブアンドボレーを

目の当たりにして、

世界のプレーヤーは

こんなにネットへ詰めるスピードが

あって、素早い動きをするんだな、

と感心したものである。

 

レンドルのバックハンドを

実際にみると驚きだ。

 

あのスラッとした体格から

バッとテイクバックをして、

恐ろしいほど早いスイングをして

厚い当たりのショットを打つ。

 

感動したものだった。

 

すでにテニスは三歳児くらいからの

英才教育が必要で、

そうでないと世界のトップには

なれないほど厳しい世界なのだが、

もし、自分もなれるなら

今でもプロのテニスプレーヤーに

なりたいと思うくらい

当時も憧れていた。

 

その思いのもとに

今は日本から錦織圭という

すばらしいプレーヤーが生まれて

いるのを見ると

とてもうれしい。

 

彼のプレーは、私が学生時代に

目指していたサーブアンドボレーの

プレーとは違うグランドストローカーだが、

夢とロマンを追い続けたい者として

は今後も注目していきたい。

 

セイコースーパーテニスは

80年代に全盛を迎えて

エドバーグやレンドル、

その前の時代はボルグが最初の

優勝者になっているが、

最後の95年はマイケルチャンで幕を

閉じている。

 

今思うとほんと懐かしい限りである。

 

いつまでも、その輝かしい時代に

いたいものだ。