北欧の貴公子 ステファン・エドバーグ

出身は北欧のスウェーデン出身のプロテニスプレーヤー。1966年1月生まれで現在49歳である。 テニス界には、現役は引退しているが、ロジャー・フェデラーのコーチとして世界を回っている。 そんな彼のことと筆者への影響などについて書き綴ってみようと思う。

美しいフォーム

彼にあこがれた要素の一つに

フォームの美しさがある。

 

スポーツでトッププレーヤーになる選手は

ある一定の数で、はたから見て

合理的な無駄のないフォームで

プレーをする。

 

つまり、スポーツが何も練習を必要とせず、

簡単にすぐにできるようになるもので

あれば、

正しいフォームだとか、運動理論というものは

存在しない。

でも、なぜ、そういうものが存在するか

というと

運動が上達し、うまくなることには

ある一定の法則があるということを

意味している。

 

特に彼の得意とするサーブから

ネットへダッシュして、ボレーする動きと

そのフォームは、歴代のプレーヤーの中でも

群を抜いている。

 

解説者がそのフォームから

なぜ、このようなボールが打てるのか

説明がしやすいのだ。

 

だから、あらゆる人のお手本になると

いう意味で、ステファンのフォームは

美しいのだ。

 

モデルに人気急増中のナチュラルヘルシースタンダード

 

 今となっては、テニスの道具

とくにプレーに直接影響を与えるラケット

は、どんどん進化をしている。

 

なので、現代テニスで、ステファンのような

ネットプレーヤーが少ないのは、

グランドストロークでのパッシング

ショットにおいてラケットの進化が

著しいということだ。

 

もちろんネットプレーに対する

グランドストローカーのメンタル的

、技術的な向上はあると思う。

 

そんな時代の傾向や空気が

プレースタイルを決めていたり

するが、

人間とは面白い動物で

思い込みが大事なのだ。

 

そして、私が高校から大学にかけて

テニスに興味をもっていた時代は、

このネットプレーヤーと

グランドストローカーが入り乱れて

いた時代だった。

 

ネットプレーヤーには、

このステファンのテニスと

その前の世代にジョン・マッケンロー

がいる。

 

グランドストロークがテニスの中心

であることは、変わることはないが、

決定打を打つショットが

どんなプレーであるか、という

ところに

プレースタイルという言葉が存在する。

 

その決定打にネットプレーを使い

他者よりも長けていた人物に、

マッケンローとエドバーグを除くことは

できないだろう。

 

この二人は同じネットプレーヤでも

対照的に紹介される。

 

マッケンローは、そのラケット裁きと

ボールに対するタッチのセンスが

一般の人が教科書的に理解することが

むつかしい。

 

身体の動かし方やフォームが

その人独特の骨格や極度にオリジナルに

近い場合、

天才的なプレーヤーと呼ぶ。

 

私が、このマッケンローよりも

理論的にも、フォーム的にも

教科書的に説明がしやすく、お手本に

していたのが、ステフォン・エドバーグだ。

 

しかし、

ビジュアル的に美しく教科書的だから、

みんなにできるテニスか?

というと、そうでないから

世界一になったとも言えるのだが、

 

他人が理解しやすい、という観点からは

ステフォン・エドバーグを見習うことは

テニス上達の上で、かなりアドバンテージ

になると思う。

 

当時、スマッシュというテニス雑誌が

あった。

今のように当時インターネットが

なかったので、

私は、毎月のように

この雑誌を購入していた。

 

当時の記事にはステファンの記事が

多く掲載され、それは私にとっての

教科書でもあった。

 

実家の書棚の中には、まだ、この雑誌が

おいてあるのだろうか。

 

もし、置いてあるとすれば

学校の教科書は一冊くらいしか

ないけど、この雑誌も含めた

テニスの本は、私の書棚を埋め尽くして

いたと思う。

 

また、このスマッシュと並行して、

テレビ東京の番組、

「マイワールドビッグテニス」

も毎週欠かさずみていた。

 

世界のトッププレーヤーの

最新トーナメント情報はここから

得られたからだ。

 

今はネットのYouTubeなどで

テレビ局よりも速く

素人動画が流れてしまう時代なので、

情報はあふれてしまっているが、

当時の私にとっては、

毎週のように世界のテニスプレーヤーに

触れることが出来るのは、

このマイワールドビックテニスだけ

だった。

 

私のテニスは、この高校当時から

数年の浪人時代に、テレビや雑誌から

得た情報と、

父親の会社に無料で使えるテニスコート

があったから夢中になれた、

とも言える。

 

きっかけはどこにあるか

わからないのだ。

 

この間、私は、テニスのトーナメントに

は、一回も出たことはない。

 

単なる出来の悪い大学受験の浪人生で

あったからだ。

 

そんな閉鎖的な自分の生活環境に

光を灯してくれた人物が、

ステファン・エドバーグであった。